SSブログ
アート&アーティスト ブログトップ

闘う白鳥 マイヤ・プリセツカヤ 高松宮殿下記念世界文化賞受賞 [アート&アーティスト]

1925年11月20日生のマイヤ・プリセツカヤは、来月81歳のお誕生日を迎えます。このたび、第18回 高松宮殿下記念世界文化賞 演劇・映像部門 で受賞しました。

ミハイル・フォーキンがアンナ・パヴロワ (1881年 - 1931年)のために振付けた「瀕死の白鳥」を演じ、喝采を浴びました。数千回に及ぶ「瀕死の白鳥」の振り付けは即興となります。

流れるサンサーンスの曲「白鳥」を傍に、パヴロワが演じた最初の白鳥の魂が、運命づけられた白鳥にとりつき、マイヤが踊る白鳥は、その魂が宿る生まれ変わりを、踊っているのではないでしょうか。即興は、「生まれ変わりの白鳥」であり、「もがいて、死に至る」という宿命を背負った白鳥。

瀕死の白鳥―亡命者エリアナ・パブロバの生涯
当時、彼女は冷遇されていました。ユダヤ人だったからです。
ホテルでの食事がドッグフード。

彼女の著書「闘う白鳥」のなかで、「ソヴィエト連邦共産党に対するニュルンベルク裁判はいつになったら開かれるの?」と叫びます。


今回の高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門 受賞はスティーヴ・ライヒ。
「ホロコーストを音楽にするのは、太平洋を飲み干すようなもの。巨大すぎて不可能だと思いましたが、その場を生き延びた人たちの『言葉の旋律』がこれを可能にしてくれました」
彼のルーツもユダヤ人だったのですね。

スティーブ・ライヒの記事は友人が記事にしています。
第18回 高松宮殿下記念世界文化賞 Steve Reich
そのほかの記事
ヤド・ヴァシェム博物館ナチスの人種主義についてNuremberg Codeと弁護Holocaust

彫刻部門受賞のクリスチャン・ボルタンスキー(米国住在、ユダヤ人)の記事
MORT by クリスチャン・ボルタンスキー


アレッサンドラ・フェリ [アート&アーティスト]

巨匠ローラン・プティの「こうもり」は、春の公演でアレッサンドラ・フェリもベラを踊りました。ジュリエットを踊るために生まれてきたとか、ジゼル(画像)を踊るために生まれてきたなどといわれるフェリは43歳。情熱的であり、詩的であるバレエを、さらに美しく表現できるプリマ。

新国立劇場では、今月24日から「ジゼル」がはじまります。この公演ではアレッサンドラ・フェリではありませんが、今から160年前に初演されて以来、バレエのなかのバレエという「ジゼル」が楽しみです。

演技力と叙情性が豊かなアレッサンドラ・フェリは、ジゼルやジュリエットだけではなく、振り付けプティの「「恋する悪魔(Le Diable Amoureux)」で少年役を踊るなど、ひろく出演していますが、“頂点に立つ孤独”をつねに味わっているようです。周囲に同化せず、ひとときも緩まず、つねに真摯にうちこみ、感性を磨き上げつづけるフェリ。

バレエは、必ずパートナーと組みます。フェリは、「感性が共通していること」がよいパートナーの一人といいます。

バレエは出演者だけではなく、振り付け、音楽、舞台美術、衣装などと、人の奥底に潜む琴線を響かせるスタッフの力があって、観客を魅了するのです。

1760年に、 ノヴェールによってバレエ・ダクシオンについての著作が発表され、動き、音楽、装置、衣装など、すべての構成要素を一貫してテーマを表現するものとしてとらえ、バレエをひとつの芸術作品としていこうとする動きが確立していきます。

BOOK 「Aria」
2007年の公演にローラン・プティのコッペリアが公演される予定です。
フェリならうれしい。
ローラン・プティといえば、ユーゴーの「ノートルダム・ド・パリ」では、ルネ・アリオ、イヴ・サン・ローラン、モーリス・ジャールという各界一流のスタッフが揃い、ルシア・ラカッラらが上演しました。まさに、バレエ・ダクシオンではないでしょうか。

バレエの歴史は、王侯貴族の宮廷舞踊に似たもので、ルネッサンス期のイタリアで「バレエ」とよばれます。メディチ家のカタリーナがフランス王のもとに嫁ぐときに、この「バレエ」がフランス宮廷にわたりました。そして1669年にパリ・オペラ座が建設され、オペラと混在した「ポモヌ」が初演となります。1713年オペラ座バレエ学校が設立されます。1832年に初演されたマリー・タリオーニというバレリーナの「レ・シルフィード」、ジゼル、パキータ、1681年にはラ・フォンテーヌが登場し、オペラ・バレエの頃でした。こうして1870年のコッペリアは、ロマンティック・バレエとよばれるようになります。そうしてロシアに移行していき、1738年にワガノワ・バレエ・アカデミーが設立されるのです。1800年代に、演出マリウス・プティパと作曲チャイコフスキーによって眠れる森の美女、くるみ割人形、白鳥の湖の名作が生まれ、クラシック・バレエが確立されるのです。

アメリカでは1930年代からさかんになり、のちのアメリカン・バレエ・シアター、40年代にはニューヨーク・シティ・バレエの設立され、英国も同じ頃、マーゴット・フォンテインが英国バレエを育て、1956年にロイヤルバレエが確立されていくのでした。


抒情-青柳いづみこ の Rameau [アート&アーティスト]

やさしい訴え ラモー作品集ジャン=フィリップ・ラモーはオペラ「ナバラの姫君La Princesse de Navarre 」で、フランス王室作曲家の称号を得ました。器楽曲(クラヴサン曲)、宗教曲、室内カンタータ、抒情悲劇、オペラ=バレなど主要作品は多くありますが、クラヴサン曲を室内楽曲やオペラに、またオペラや室内楽曲をクラヴン曲に編曲したラモー。

ピアニストでありながら多数の著書をもつ青柳いづみこ さんは、ドビュッシーに関する著作も多く、そのドビュッシーを通じてラモーに出会ったといいます。

ラモーの「エジプト女たち」は、ジプシーの踊り(ロム)を想像する必要があるという解説がありました。青柳いづみこ さんの演奏から、私は馬車が揺れるその中で女たちがクスクス笑ったり、窓からみる景色がどんどん遠ざかるのを憂い顔で眺めたり、途中の泉で水浴しながら小躍りしている様子が浮かびます。ジプシーの生活も身も心も絶えず流れめぐるような流浪を、ピアノの音符が流れる円を描くような音色で奏でています。

ロムはよく知られているように、インド起源の流浪の民族です。インド北西部ラジャスタン地方から、ヨーロッパ全体へ広がっていく通り道となったトルコやギリシア、そして東欧からロシア、西端のスペインまで広い地域のジプシー。青柳いづみこ さんの「やさしい訴え ラモー作品集」から「エジプト女たち」を聴くことができます。

試聴  PTNA ラモー/エジプト女たち 演奏:青柳いづみこ


ペンタローネ 二日目 第一話 [アート&アーティスト]

1697年、ド・ラ・フォルス (Charlotte Rose de Caumont de la Force)というフランスの女流作家の『妖精物語"Persinette"ペルシネット』は、1637年、ミラノのジャンバッティスタ バジーレ の「ペンタローネ」にある2日目の第1話で語られている「ペトロシネッラ(バジーレ)」をもとにした物語。

さて、このパセリの意をもつ「ペトロシネッラ」という物語が、グリム童話の「ラプンツェル」ですよね。このパセリからラプンツェルに変えたのが、ドイツのシュルツ (J. C. F. Schulz) です。


バジーレの「ペテロシネッラ」では、魔女のパセリを盗んで食べた女性の子「ペトロシネッラ」は塔に幽閉されていましたが、王子とともに逃げる。魔女が追ってくるので三つのどんぐりを後ろへ投げると、コルシカ犬・ライオン・狼に変わり、最後には狼が魔女を食べてしまうというストーリ。 ド・ラ・フォルスの「ペルシネット」では、姉の恋人を奪った妹の子「ペルシネット」を、「おまえは醜いのだ」と塔に幽閉します。

さてグリム兄弟は、シュルツ版をもとにグリム版『ラプンツェル』を童話化したようです。七回も書き換えられた「グリム童話集」は、もはや口承とはいえないという批判もあるようですが。

妖精のラプンツェルを盗んで食べた女性の子「ラプンツェル」を塔に幽閉。
「Rapunzel Rapunzel Let down your hair to me.」
「ラプンツェルや、おまえの髪をたらしておくれ」
塔に行くにはラプンツェルの美しい長い髪が梯子になります。

エーレンベルク手稿というのが初版本のものです。この初版が出版されて、ほかの作者たちA・L・グリムや、フリードリヒ・リュースらから批判があがったのです。婚前交渉による妊娠がみられる一文があったからです。「ドレスが身体にあわなくなった」という部分。マリア崇拝、父権社会の特有の批判ですね。

Rapunzel (Caldecott Medal Book)そうして、1995年にコルデット賞を受賞したゼリンスキーは、フランス、ミラノ、ドイツの3国の物語を融合させた「ラプンツェル」を描きました。

イタリアルネッサンスの挿絵です。人物の姿、動き、線、色、質感が、「空気遠近法」によって描かれています。そのほかの挿絵は、こちらから。Rapunzel


お伽の樵の入神の一撃 [アート&アーティスト]

リチャード・ダッドの「お伽の樵の入神の一撃」のディティールです。ダッドは自らの手で、狂気の一撃を父親にむけたあとの作品です。

中東旅行に同行したあと、彼はエジプトの神オシリスに魅入られたのです。いいえ、きっと彼の描く美しく幻想的な絵なのかもしれません。異界を描く画家は、異界に住む神に支配され、この世を過すための魂を、すっかり取り上げられたのです。

破壊された精神のあとに描いた「お伽の樵の入神の一撃」は、息を潜めなければならないような、ちいさなちいさな50cmほどのキャンバスに、妖精の世界を詰め込んでいます。

フェアリー・フェラーの神技この世界幻想文学大賞短篇部門受賞作『フェアリー・フェラーの神技』は、狂気の妖精 画家リチャード・ダッドの「お伽の樵の入神の一撃」が表紙になっています。

マーク・チャドボーンが描いたこの物語は、リチャード・ダッドの絵に魅せられたダニーが、画家の人生をたどる旅に出かけます。ダッドの狂気に向かった旅をたどる早熟な天才ダニーの旅。やはり、この少年をも狂気に導くのでしょうか。


さて、物語の少年だけではありません。クイーンのフレディ・マーキュリーもその一人。ここから「フェアリー・フェラーの神技」という名曲が生まれたのです。そして、作家マーク・チャドボーンもでしょうね。

それではディティールだけではなく、全体の画像をお見せしたいと思います。
どうぞ狂気に導かれない方だけご覧ください。

Richard Dadd 「The Fairy Feller's Master Stroke」 1855-64; Oil on canvas

続きを読む


マネのオマージュ モネの草上の昼食 [アート&アーティスト]

ダダイズムでは、パロディとして風刺スタイルに使われ、著名な作品がつぎつぎポスターなどにリメイクされます。

Coca-Cola
Manetとj. seward johnson. jr
パロディー 草上の昼食 Bow Wow Wow
マネのオマージュ セザンヌ 草上の昼食

オマージュとはフランス語で、献辞や賛辞をあらわします。マネの草上の朝食は、当時の画家たちにセンセーショナルを巻き起こし、次々と「草上の朝食」が描かれました。ブータン、セザンヌ、そしてモネも。

このモネの「草上の朝食」はディティールです。1865年に「草上の朝食のための習作」としてパラソルをもつ女性と男性の散歩のシーンが描かれています。モネは、マネの作品を当時のピクニックスタイルとして描きました。画家のバジール、アルベール・ランブロン・デ・ピルティエール、後に妻となるカミーユ・ドンシューが描かれているそうです。


アート&アーティスト ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。