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”墻靡 そうび” 古代の山茨 [花物語]

墻靡とは薔薇のこと。

「薔薇」は古代ローマでは「ヴィーナスの花」として知られ、ヴィーナスに仕える聖娼たちのしるし。「薔薇のもとで」(sub rosa)語られる秘密は、ヴィーナスの性の秘儀にとって欠くことのできない要素で、非入信者に明かすことは許されなかったらしいとは、―友人のblog―にも記してありました。

これは、ヴィーナスと恋人アドニスとの密会の秘密が洩れないように、沈黙の神ハルポクラテスにお願いし、そのお礼に送ったのが、「バラ」の花だったと言うローマ神話があるからです。画像は古代ギリシャ時代の山茨(薔薇の原種)です。

                そりゃ、ぼくのバラの花も、なんでもなく、

                そばを通ってゆく人が見たら、

                あなたたちと同じ花だと思うかもしれない。

                だけど、あの一輪の花が、ぼくには、

                あなたたちみんなよりも、たいせつなんだ。  

                                by サン=テクジュペリ作 「星の王子さま」


キリスト教では、薔薇は十字架にかけられたキリストの血の跡に咲いた花と言われ、赤いバラは満開の母親の性を表し、白いバラあるいはユリは処女女神のしるし。キリスト教徒は、聖母マリアに結びつけ、彼女を「聖なる薔薇」と呼んだのです。信者が、祈りの場で手にする「Rosary(ロザリオ)」はラテン語の「Rosarium薔薇の園」がその語源とされています。

ゴシック様式の大聖堂のバラ窓は、母権制社会の楽園があるという西方に面し、本来は、東方の後陣にある男性の象徴の十字架に相対する女性の象徴として、マリアに捧げられたもの。「フランスの薔薇」と呼ばれる窓の下方には、マリアの数と同じ5つの窓があり、その中央には聖母マリアの母アンナが置かれています。

5はマリアの数でり、薔薇の花弁の数であり、またもう1つの処女性の象徴であるリンゴの花の花弁も5枚。キリスト教の宗教画には、聖母マリアの処女性を表す「閉じた園」の「生命の樹」に、リンゴとバラが一緒に描かれていまが、魔女の五芒星形、5つの切っ先を持つイシュタルの星、エジプトの子宮-冥界と輪廻再生のシンボルなどもあるのです。

バラにまつわる神話や寓話は数多くあるのですね。
参考サイト:バルバロイ http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/


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コメント 4

yamazaki

「聖なる薔薇」とマリアを称するのは、女性はそうあるべき姿という決め付けでしょうか。父権キリスト?でしたか。たとえば「アマゾネスは、歴史の中で酷く歪められてきた。戦いのために右の乳房を切り取るとか、男は皆殺して、女だけで社会を作っていたとかいわれているが、事実はそういうことなく、アマゾネスの社会には男性もいたし、男女平等の社会制度であったが、基本的には母権制社会制度で政治・経済・社会・芸術のあらゆる分野で女性に大きな権限が与えられていた」ともあり、極端な母性社会を否定しています。古代エジプトやメソポタミアでは女神が崇拝され、農耕型母権社会であったといいますから、その時代を暮らす女性像とは、はるかにかけ離れていますよね。歴史は、いつも誰かが、権力のために、神話や記録を捏造しているようです。http://www.jocoso.jp/rhabarbermarmerade
by yamazaki (2006-03-27 10:38) 

ryo-

コメントを拝見して、男女の優位性やフェミニズムの視点が多いけれど、K氏のトラバの「可憐なおんな 都茨」と「醜いおんな 鳥兜」は、いわゆる美醜の対比です。fu-は美学、あるいは美意識において、性というものを取り上げたのかと思っています。そこで、各個人の生き方、生活のあらゆるシーンに美意識を持っているかどうかの対比を、問いかけていると思っています。まぁ、母権社会と父権社会の裏表から、社会と個人、生と性、古代と現代の対比もできますけどね。ところで、fu-の常連さんばかりですが、so-netの会員の反応は如何に?(笑)この領域へ、どういった知識レベルでコメントを残しているか、興味あったのですが、これからかな?http://blog.oricon.co.jp/comicstrip/
by ryo- (2006-03-27 12:09) 

fu-

to yama
母権、父権の裏表。何が真実かわからない。日本書紀も古事記も、何かが違う。神のみぞ知る。(笑) わかっているのは先人の知恵と現在の状況です。それが、自分自身を満たすものか、満たされぬ思いなのか。それはなぜなのか。
by fu- (2006-04-16 21:37) 

fu-

to ryo-
まさに、生と性でしょう。性とは男女の区別のこと。区別と差別は違います。
「生活のあらゆるシーン」は生き方そのものですよね。人として、どうあるべきか、どう満たされたいのか、何が不足しているのかを見極める。それは触れ合うことだったり、愛でることであったり、抱きしめることであったり、気が付かないうちに、人はちょっとした行為を忘れてしまう。何のためなのかを考える機会にね。
by fu- (2006-04-16 21:43) 

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